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一度、渡邊洋治の少ない作品をまとめてみたいと思い、1994年の夏休みを利用
し、朝一番の新幹線に乗って出発しました。善導寺は1961年の竣工とありますから随分痛んでいて当然と思ったのですが、ていねいに使われてるようで、何
度もあの迫力のあるパースを眺めて、姿形は脳裏にインプットされていても本物の建築を目の前でみると、さらに鮮明に記憶がよみがえるような不思議な感覚で
す。 さすがに打放しのままではみるに耐えないようで、黒で塗装されてました。建物の廻りをぐるぐる見ながら歩いてると、偶然住職さん(と思う?)が帰って きて、本当は打放しのままの雰囲気にしておきたかったのだそうですが、全体的なとらえから、洋治さんは黒なら納得してくれるだろうと思い、長もちさせるた めにそうする事にしたといってました。 |
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宗教建築などには意外とスロープが使われるのでしょ
うか。このアプローチをみてると障害者云々よりも、俗世間から徐々に自分の気持ちが切離されて、少しずつ精神の崇高なる場へ向かう心の準備をさせているよ
うにみえます。 そう見えてくると、スロープの長さが心地よく感じられます。余計な装飾などなくともコンクリート打放しと白壁だけで実に力強い表現に満ちて ると思います。 夏の暑い日で、強い日射しが池に反射して天井でゆらめいてるのがとても印象的でした。 |
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構造的にも、まるで橋をみてるような作り方で、これ
がまた龍の飛翔のエネルギッシュなイメージを余計に醸し出してます。普通なら柱でピロティをつくる事を考えそうですが、わざわざ、一旦ここで縁をきって載
せてるとこが妙というとこでしょうか。 しかも、城郭建築の足下をみてるようでもあり、骨太なイメージはぬぐえませんが、それに比べて壁厚の実に薄い事。梁 などと比べるとまるで紙っぺらという感じです。この時代コンクリートが高くてけちったのかな。けちらずに厚く塊で作ってほしかったような気がします。 |
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この写真からは住職さんの白と黒のコントラストが
けっこう決まって見えます。まだ、生きてるなあという感じで、これだけ大事に使われれば建物冥利につきるというものでしょう。
帰る前に、もう一度全景をじっくり見直しましたが渡邊洋治のこれを作った時の情念のたけが伝わってくるようで、いつでも飛立てるのにと ばないままに終わってしまった無念を龍が悲しんでるようにもみえました。 |
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