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タクティ・ロスタムのストゥーパと僧院(B.C400〜500年代) サマンガン地方の仏教遺跡。1964年まではハイバクとして知られていました。京大の水野清一博士を中心とする学術調査隊の一行が1959年、60年に石 窟を調査。ストゥーパは堅い岸壁に彫られ、聖室は頂上の四角いハミルカの中に設けられていました。 |
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地下の僧院群の様子。回廊にはいくつもの個室がつな がっています。この個室はかつて、仏教徒の僧の隠遁場として使われていたものです。 | ||
地下の回廊には所々孔があいていて光がさしこむ。聖 なる光といったところ? | ||
朝のバーミアンホテル。 同じ夏でも標高2500mになると他より気候が異なるようだ。早朝など少し涼しく感じられる。ホテルはユルト形式で独立してる。ここでは、ホテルにはいる までの並木路が本当に見事です。 |
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ユルトは直径4cmくらいの堅木を交差させて壁面を 作り、屋根部分は同じ堅木を傘のようにして構成されている。もし、アフガニスタンへいかれたら一度こんなホテルに泊まってみることをおすすめします。 | ||
大石仏 写真の大石仏は高さ53m。小石仏は高さ35m。大石仏はちょうど修復中でした。ヒンズークシュ山中のバーミアン渓谷は4〜5世紀に開かれ仏教の一大中心 地であったといいます。「大唐西域記」で有名な玄奘三蔵法師は「伽藍は数十ケ所、僧徒は数千人」と記してます。砂漠のなかの緑の谷で、隊商の人々はどんな にか心を和ませ、雄大な窟院と大石仏に感動したことか。石仏の顔面は後に進入してきたイスラム教徒によって無惨にも削ぎ落され、2001年にはアフガニス タンのタリバン政権によってイスラム原理主義に反するとして大石仏,小石仏その ものが爆破されてしまいました。 |
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僧徒達が厳しい修行をしていた窟院群。夥しい数の洞 くつです。 | ||
バンディ・アミール バーミアンから西へ約80kmのところにある。砂漠の中に突然開けてきて、なんともいえない紺碧の水をたたえる湖です。ヒンズークシュ山中、バルフ川の上 流で5段の湖になっており湖は次々に水を落して連なっており、水害に苦しむ農民のためにマホメットの徒弟アリーがダムをつくったという伝説もあります。謎 めいたその美しさはまさに比べるものがなく奇怪な山容とあいまってこの世のものとは思えない不思議な光景です。 |
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水はダムから下へ岩場伝いに少しづつ流れています。 相当量の硫黄を含んでいるらしく岩場などもかなり黄色くなっています。 | ||
長々とおつきあいいただきありがとうございました。ツアーに参加したときの資料以外は以下の文献を参考にし
ました。おかげでなんとか場所,建物等を確認できました。もう20年にもなりますから記憶もすこしうすれてきてます。始めての海外旅行がいきなりアフガニ
スタンだった訳ですからちょっと変わったやつだとよく言われましたが、20名参加した内の2/3程は私同様初めての海外旅行でしかも女性でしたからもっと
大変だったことでしょう。帰国後半年程でアフガン革命が起こりました。その後国交も途絶えたので貴重な旅行となってしまいました。それにしても、トイレッ
トペーパーを持参したツアーなんてちょっと考えられないでしょう。おまけに現地のガイドも途中でばてる程の強行軍だったのですから。この頃も女性は強し。
参考文献 アフガニスタンの旅
ナンシー・ハッチ・デュプリ著 日本アフガニスタン協会訳・発行 1974年 |
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